三重県四日市市智積684
天宇受売命 猿田彦大神 天照大御神
伊勢の海がまだ智積の辺りまで入り込み、さざ波が立っていたほどの大昔、今の坊主尾と呼ばれている台地に我々の祖先が住みつき、生活を始めた。その頃、この土地を御守護される大神様を部落の中の清浄な所へお迎えし、お祀りしたのが椿岸神社の起源となった。その地名を今は字
鈴鹿山系に源を発する三滝川と矢合川が年々歳々土砂を運び次第に海岸線も遠のき、やがて日本が国家として成り立つ頃には、このあたりに多くの人が住むようになった。
古代のことは書物が残っていないため詳しいことは判っていないが、奈良の大安寺にある今から約1,250年前の天平20年の古文書には、椿社の田畑が未開墾も含めて60町有ったと記されている。
このように、広く土地が開かれ発展した桜の地には、商業も栄んとなり家並みが整い智積大寺も創建されてこの地方の文化的中心地となった。延喜の式制(約1,100年前)では国幣社が列せられるほど神威大いに輝いた。
時は移って永禄2年(約450年前)、それまで椿尾にお祀りしていた神社が兵火にかかって社殿を消失してしまったのと村が東の方に遍して開け、神社が村のはづれの遠隔の地となり、お参りやお祭りに不便となっていた為に、七郷(桜、智積、一色、森、赤水、海老原、平尾)の氏子が合い寄って協議をした結果、村の中心の現社地に移すことになった。七つの村のそれぞれの清土を持ち寄って土盛りをし、樹木を植え神殿を御造営して大神様をお遷し申し上げた。
今の境内の土質が七郷となっているのはこの時のことに依っている。以来当社は七郷の総社と称され、七村の氏子の崇敬はますます篤いものとなった。
椿岸神社を昔は「七郷の総社」と呼んでいました。七つの郷とは、旧村の佐倉村(桜)、智積村、一色村、森村(菰野町神森)、赤津村(赤水)、海老原村(上海老・下海老)、平尾村のことで、この七村の総氏神様が椿岸神社です。
歳旦祭 厄除災 |
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成人祭 どんど焼 |
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建国祭 |
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初午祭 |
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祈年祭 |
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入学奉告祭 |
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総代新旧交代奉告祭 |
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誕生祭 |
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夏越大祓式 |
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夏祭 |
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長寿祭 |
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慰霊祭 |
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秋季例大祭 |
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七五三祭 |
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新嘗祭 |
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神宮大麻頒布始祭 |
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師走大祓式 |
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※月次祭 |
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■智積養水
智積養水は、環境省選定の「名水百選」に選ばれ、鯉が泳ぐ清流はみんなの誇りとなっています。
■石川酒造株式会社(噴井 ふきい)
天保元年、年貢米を元に酒造業を創始し、金賞受賞の酒「噴井」を中心に、大吟醸を、鈴鹿山脈から湧き出る清らかな水で製造しています。
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